コンテンツへスキップ

道祖土和田窯について

道祖土和田窯と書いて「さやど わだがま」と読みます。


道祖土は益子町の地名です。古くから陶器の原土が産出したこの地は益子焼の原料である粘土の生産や益子焼の窯元が数多くあり、益子焼生産の中心といえる土地です。


道祖土和田窯の前身である合田陶器研究所はこの道祖土の地に築窯しました。
合田(ごうだ)好道(よしみち)氏を知る人から「なぜ合田窯ではなく、和田窯で活動をするのか」と尋ねられることがあります。

「道祖土和田窯」は職人の集団であることを表明する意味を込めた窯名です。

合田氏の一番の理解者であった和田氏が生涯を通して職人に徹することを目指したことから、私たちは職人の集団であるという想いを胸に刻みました。

益子の土地の名前である「道祖土」と職人の窯であることを表す「和田窯」からブランド名を道祖土和田窯とし、合田陶器研究所跡にて日々土と向き合っています。

道祖土和田窯の歴史

道祖土和田窯の前身は1981年に益子町道祖土の地に合田好道氏の主宰により創設された『合田陶器研究所』にあります。

合田氏は昭和の半ば頃、益子の窯元の指導にあたり、多くの陶芸家志望者に陶器の知識や民藝の考えを植え付け、益子の歴史を語る上で欠かすことのできない存在です。

合田好道氏は表現者として陶器だけでなく、絵画や書などの制作活動を行っていました。

合田氏の手から作り出される作品は力強く、見る人に訴えるものがあり、当時の表現としては異彩を放つものでした。


合田氏の晩年には和田安雄氏と共に韓国に渡り金海窯を開き韓国の陶工と作陶を行い、韓国で6年間活動した後に、益子へ戻り、合田陶器研究所が設立されます。

合田陶器研究所から、道祖土和田窯への転換

平成12年(2000年)に合田好道氏が他界し、合田陶器研究所は解散となりましたが、合田陶器研究所跡では合田氏の下で作陶を行った、一番の理解者である和田安雄氏が益子焼の生産を続けます。


和田氏は表現者である合田氏の下で共に活動し、多くの陶器を制作する上で、自身が陶器作家ではなく生涯を通して職人に徹することを目指しました。


月日が経ち、益子の陶器ギャラリー「陶庫」の当時の代表が合田陶器研究所の社長を務めた経緯などから、2007年には陶庫と合併に至り、「道祖土和田窯」として新たなスタートを切りました。

道祖土和田窯は自然の産物といえる陶器を「自然から頂く責任」を持って製造し、陶器の魅力を多くの人々へ届けることを目的としたブランドです。


道祖土和田窯が創り出す道具によって、一人でも多くの方に真の豊かさを提供し、人と地球が共生する未来を目指します。