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器の色について

陶器の釉薬

陶器は「成形」「素焼」「釉薬かけ」「本焼」と大きくわけて4つの工程を経て完成します。

素焼の状態では、水分を吸収してしまったり、割れやすかったりと器の用途または機能が確保されないため、釉薬(ゆうやく)を施します。

その後、1200℃以上の温度で本焼きを行い、釉薬を溶かすことで、陶器の表面を釉薬が覆い、陶器が完成します。

釉薬を施すことでガラス質が表面を多い、より強度が増し、水に強く、汚れにくくなります。

釉薬の材料は石や灰、粘土からできており、それぞれの配分を調整して釉薬の色や表現を変化させます。

陶土と釉薬の相性は複雑で、この調整がうまくいかないと、変色したり、剥がれたり、縮れたり、焦げたりしてしまいます。

釉薬をかけて焼成することで陶器特有の多種多様な表現が可能となり、陶器の大きな魅力と言えます。

益子焼の釉薬

益子の陶土は砂気が多く粘性が少ないため、厚手に作られる器がよく見られます。更に釉薬を施すことで、ぽってりとしたフォルムとなり、素朴で温かみのある風合いが特徴です。

益子で古くから使用される釉薬は益子伝統釉薬として益子焼を代表する色として現代でも親しまれています。

【益子伝統釉薬】糠釉(ぬかゆう)

糠釉は灰が原料となります。灰には藁灰(わら)、籾灰(もみ)、木灰、などが使用されます。焼成後は独特な乳白色に近い白色になります。

糠釉のうつわの一覧

【益子伝統釉薬】黒釉(くろゆう)

黒釉は鉄分を多く含み、焼くと黒色に発色します。

酸化焼成(炉内に酸素を多く取り込む焼成方法)で焼き上げることで、柚子肌と呼ばれる、表面がザラザラした表情になります。

還元焼成(炉内から酸素を無くす焼成方法)では艶と光沢のある黒色に発色します。

黒釉のうつわの一覧

【益子伝統釉薬】飴釉(あめゆう)

益子伝統釉の一つである飴釉は透明感のある美しい茶色に発色します。

益子以外の産地で使用される飴釉の茶色は透明釉に鉄やマンガンなどの鉄分を加え、焼成することで茶色に発色します。

益子で古来より調合された飴釉の場合は、益子の北地方で採掘される芦沼石(あしぬまいし)に土灰(雑木を燃やした後に残る灰)を調合することで生成しました。

芦沼石に含まれる鉄分が土灰を加えることで薄まり、飴釉のように茶色の発色となります。

飴釉のうつわの一覧

【益子伝統釉薬】青磁釉(せいじゆう)

青磁釉は糠白釉に銅を加えて作ります。焼成すると深みのある美しい青色になります。

益子焼の青磁釉は一般的な青磁とは少々異なります。

磁器などに使われる青磁釉は透明感があることに対して、益子の青磁はぽってりとした、独特の深い青色です。

青磁釉のうつわの一覧

【益子伝統釉薬】並白釉(なみじろゆう)

伝統釉薬の一つである並白釉は石灰が主成分の釉薬です。

焼き上がりは透明になるため、素焼きの生地に下絵を描いたり、土肌そのものを堪能したりと土味が感じられる釉薬です。

益子ではベースとなる基礎釉としても使用されます。

並白釉のうつわの一覧

【益子伝統釉薬】柿釉(かきゆう)

柿釉」は益子焼を代表する釉薬です。

益子の北部で採掘される芦沼石の粉のみを原料とします。

柿釉は別名「赤粉」と呼ばれ、鉄分が多いことから保温性が高く、古くから、降雪が多い東北地方の屋根瓦に使用されました。

益子では江戸時代末期から、水甕・擂鉢・壷などの日用品として道具を生産し、焼き物の産地として発展してきました。
これらの日用品も茶褐色の柿釉を使っており、今でも内回しと呼び、花瓶の内側に水止めとして柿釉を施したりいたします。

柿釉のうつわの一覧

益子を代表する釉薬 柿釉について

THE 益子

益子は、江戸時代末期より、鉢、水瓶、土瓶などの日用の道具を作り、東京に近く鬼怒川で荷物を運べることから、焼き物の産地として発展してきました。

 陶器の表面に施す釉薬は多種多様ですが、その中でも益子焼を代表し、広く認知されている釉薬が「柿釉」(かきゆう)です。

益子の北地方で採掘される「芦沼石」(あしぬまいし)を主原料としており、益子ならではの釉薬です。

 益子焼窯業の初期から使用され、古来から益子焼の多くは柿釉が施された日用の道具でした。

 大正期に濱田庄司氏が益子へ移住してからの作品にも柿釉の作品が多く見られます。

柿釉が益子で使用されるようになったのは明治の半ば頃と言われています。芦沼石を登り窯の焚き口の蓋として使用していたところ、石がドロドロと溶け出し、色が変わったことから釉薬が発見されました。

益子でのみ採掘される特別な釉薬

柿釉は芦沼石を粉砕し、高温で焼き上げた後に水に溶かして釉薬として使用します。

この高温で焼き上げた際に芦沼石の粉末が赤くなることから、益子では赤粉(あかこ・あかっこ)の愛称で親しまれ、「柿釉」という釉薬の名称は、赤茶に染まった干柿から連想し、濱田庄司氏が名付けたとも言われています。

赤粉のみを釉薬として使用すると陶器の表面にヨリが発生してしまうため、大谷津砂(おおやつさ)や八木岡(やぎおか)といった益子近辺の土を合わせることでヨリの発生を防止しました。

石や土はその土地の自然環境から生成されていることから、益子だけでなく、近隣の地域の土質も検証されています。

化学反応を利用する焼き物は現代では化学として研究されていますが、当時の陶工たちは自然環境が形成する、特定の場所の土などを手探りで開拓し、焼き物の原料として調合していました。

 柿釉は芦沼石の鉄分を多く含み、耐水性と保温性が他の釉薬に比べて優れています。その特徴から、降雪地(特に東北地方)の屋根瓦の釉薬としても使用され、現在でも東北地方では赤茶色の屋根瓦を目にすることができます。